みっすーのブログ 〜こくごであそぼ(仮)

夏になるとブログを始める癖があります。書きたいものをただ書きたいように書くだけのブログ。八幡さまにおみくじで、何度も言うけど国語な!って言われたきっかけで、こくごであそぼ!が仮題。深い意味は全くございませぬ。

スーツケースに残すものと、夜がいちばん短い日。

いま、この時代に生きる人。

結構大きな時代の流れの、めっちゃ激流の中にいる。

 

目に見えるところでも、見えていないところでも、

とにかくものすごい動いてる。

 

そして、変化と進化のスピードが格段にはやい。

 

苦労しないと、それはできないと思ってた。

つらい想いしないと、変われないと思ってた。

 

ちょっと前まで当たり前っぽかったそんなことですら、

一瞬でかわる世界が本当にきてる。

そして、実際に変わってる。

 

”過去の自分”に引っ張られないように選び続けること。

表面上、他のものと同じに見える”fake”にだまされず、

本質や価値をみること。

直感を適切に受け取ること。

機会がよってくる自分であること。

情報の発信者と意図を想像できる力があること。

ご縁を信じること。

小さいハコの中から外にでること。

知らない景色を見ること。

体験すること。

オブザーバーにならないこと。

自分の人生を、生きること。

 

すでに始まって何年もたつ旅の中で、

持っていくもの、移動手段、武器と防具、回復アイテム。

 

改めて、何をもって旅立つのか、

足元から問われている。

 

だから、自分で選ぶ。

自分が惹かれるものに、きっかけを見つける。

目の前に転がってきたものに、意味を見出す。

 

本格的な大変化は、まだまだ始まったばかり。

昼が長いうちなら、何度道に迷っても辿り着ける。

 

明るいときにこそ、動きだす。

 

この変化の中を、明るい陽射しにつつまれていきていくには、

明るさを守る選択をすることも、とても大切に思う。

 

夜がいちばん長くなると、迷子になると、きっと不安になる。

だから、今こそが選びなおす時。

だから、自分のいのちを生きる。

 

大事なことは、自然が教えてくれる。

 

 

 

キャラ弁に学ぶ「結果はコントロールできない」お話し。

前にハッとして、ちょっと最近思い出したキャラ弁のお話し。

ちょっと最近思い出したのでメモメモ。

 

帰路についていたある日の夜のこと。

たぶん週末が近くて、

気持よく酔ったカップルのお兄さんが、

キャラ弁ってあるじゃん!」

みたいなことを大きな声で言っていた。

 

2人が何の話をしていたのかよくは聞こえてないけど、

当時「超がんばってる後輩が自分のすばらしさを認めない」

みたいな状況にもどかしい気持ちを感じていたところ。

 

キャラ弁ってきいて、めっちゃハッとした。

 

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あるところに、AちゃんとBちゃんがいました。

AちゃんとBちゃんは同じ幼稚園に通う同級生。

 

Aちゃんのお母さんも、Bちゃんのお母さんも、

愛情いっぱいのお弁当を作ってる。

Aちゃんのお母さんは、

ポップなのが好きだから、かわいいキャラ弁を。

Bちゃんのお母さんは、

いいお野菜で、体と味覚に優しいものを。

どちらにも、とっても娘への愛情が詰まってる。

 

でも、一歩外に出たら、

こどもたちの世界では、体によい一見渋いお弁当より、

キャラ弁がヒーローになることもあるかもしれない。

「わー!Aちゃんのお弁当かわいいー!いいないいなー!」

みたいに。

 

そこでBちゃんはおもう。

「私もBちゃんみたいにかわいいのがよかったなぁ…いいなぁ…」

 

Bちゃんは、Aちゃんとの比較で、

もしかしたら勝手に傷ついてるかもしれない。

どちらも愛情深いのに、目の届かないところで、

悲しんでるかもしれない。

 

ーーーーー

 

そう思うと、人が傷つくことや、

何かを思うことは止められない。

どんなに見える範囲で愛を注いでも、

いわば勝手に傷ついてしまうこともある。

 

結果は、コントロールできない。

 

だから、大切なこと。

じゃあ、同じようにキャラ弁にする

という方法もあるかもしれないけど、

ちょっと元気ない表情で帰ってきたBちゃんがいたとしたら。

 

その何気ない変化をちゃんと受け取って、

声をかけてあげる。

気づいてあげること。

ちゃんと愛してるって伝わるように、

相手を見つめて丁寧に対話すること。

お互いの世界をすりあわせていくこと。

 

一つひとつ丁寧にやることは本当に難しいけど、

そういうわかりあいがすごく大切なんだなあって思った。

 

キャラ弁から勝手にそんなイメージが広がっただけで、

私お母さんも経験してないし、このシチュエーションが

どれだけリアルかはわかりません。

 

でも、相手がこどもだろうが大人だろうが、そんなことは関係なく、

そういうことって、いつどこでも起こりうるし、起こってるなって。

 

そんな丁寧さでいつも居続けるなんて難しいけど、

気が付いた時に、そうできる自分でありたい。

 

そして、

結果からは手を放すこと

抱え込みすぎないこと

の大切さもなんだか学んだ夜だったのでした。

 

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大事なことは、自然が教えてくれる。

 

 

 

 

 

 

旅は始めないと、たどりつけない。

ちょっと今日からブログに書くテーマを色々取り入れてみようとおもいます。

思いついた言葉を書いていくのと同時に、

常識にとらわれて不安とリスクから行動していた昔の自分から、

どうやって今の自然体に生まれ変わってきたか。

 

思い出しながら、大切なことを確認するように、

ちょっとずつ書いていこうとおもいます。

もちろん、今続けているチャレンジや、日々の発見のことも。

 

わたしはこれまでの人生のほとんどの時間を、

自分の自然体を埋もれさせて生きてきました。

それも今だからわかるけど、埋もれさせてることも気づかずに。

「これでいいのだろうか?」

「でも、まあ悪くない。好きな分野の仕事もできているし」

などなど。

 

でも、ある時を境に、限界がきました。

2014年、年末。

自分の感覚に従えず、埋もれたままで生きることに限界を感じ、

目の前には望まない状況。毎日泣いてくらす日々。

 

ある日、友人がこんな言葉をSNSに投稿していました。

「あなたにとって本当に大切なことはなに?」

この問いに、目の前の状況を否定しまくって、気持ちが揺れまくっていた

当時のわたしは、衝撃を受けました。

「なんだろう…。答えられない。」

34年も生きてきて、大切なものがわからない人生ってなに。

 

それを見つけている自分でありたい。

半年後には、今とは違う自分でいたい。

そう思ったことから、今の自分に至る変化の旅は始まりました。

 

「人は大人になると変われない」っていう人は、変わろうと思ったことがないだけ。

変わる切実な理由がないだけ。

 

抜け出したいような状況にいた当時の自分に、今は感謝しかないです。

 

あのまま、そこそこ悪くないに浸っていたら、

今の自分の喜びを知らないまま生きてたかと思うと、背筋がのびる。

 

昔の自分は、

「世の中に言いたいこととか、実現したいことなんてない」

「きっと、そういう使命とかって、一部の人だけが持っているもの」

って思ってたけど、あった。めっちゃ元から入ってた。

 

自分がものすごく強く喜びに感じることや、実現したい気持ち。

一人ひとり、必ず自分の中に持って生まれている。

 

その輝きを発揮させるに生きるのは、すごくすごくもったいないと思う。

今見えていようが、見えていなかろうが、必ずみんな持っている。

 

まだ見えていないひとは、探す旅に。

出会った人は、実現していく旅に。

一人の人は、仲間を巻き込む旅に。

 

進めば進むほど世界は広がって、旅はどんどん続く。

でも旅は始めないとたどりつけない。

 

大事なことは、自然が教えてくれる。

 

比較ではなく、ただそのものをよろこぶ。

梅雨の合間の空の青さが包みこむように。

久しぶりの雨が地面にしみ込むように。

 

晴れの美しさ、雨の優しさをそれぞれに感じられたら。

 

差に生まれた刺激ではなく、それそのものの美しさを受け取れたら。

 

より多くの、今という瞬間に繋がる気がする。

 

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ぐずぐずが続いた天気の後の快晴ってきもちいいなー!と素直に感じる一方。

背景ってもちろん違うし、何を感じるかも全く違うし、どれも素晴らしいんだけど。

人って、ギャップに注目する生き物なのね。
とあらためて感じたのでした。

意識してないと、"すでにあるありがたさ"はすぐに、"当たり前"のラベルをつけてしまう。

誰かにとって特別な今日という1日が、それにふさわしい天気で彩られてる時点で色んなところでミラクル起こってるなーと思います。

遠いようで近いもの。

ゆめ。遠いようで近いもの。


ゆめ。目指すもの。

それはなんだかゴールな気がしてた。


でも、ないと始まらない。

ゆめからすべての行動や感情や思考が起こるなら、それはスタートだ。


ひとつのゆめを実現させても、また新しいゆめをつくりつづける。


ってことは、ゆめがいちばん輝いてるのは、一緒にスタートから景色を見てる、今なのかもしれない。