人生の過渡期。LIVE‼【縁側ブログ】

モットーは”自然と生きる、自然に生きる”。絶賛、人生の過渡期真っ只中。人は過渡期を経て、実際にどうかわっていくのか?直感のままに生きていく人生を、LIVE記録していきます。果たしてこの先どうなるのか?それはそうと、縁側の持つ雰囲気が好きです。

”引き算の成長”のススメ(頑張り屋さん向け)

■”成長"って、何なのか。

なんかちょっと、かたい感じで始まっちゃった感じしてます?

ややや、そんなことないです。

 

昨日、”成長”に対してちょっと考え方変わったって書いたのですが。

さっきランチした友達とも、そんな話になったので、今日のテーマは、”成長”について、ちょっと付き合い方が変化したことをまとめます。

 

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あまりに、フラペチーノくんがかわいかったので、写真入れてみたんですけど、めっちゃでかくないですか?このあたり、調整が必要なんですね。次の学びにしたいと思います。これも成長。

 

■仏の顔して、中身が”おりゃー”みたいな

”成長”する時って、結構、何かを必死でやってるときとか、未経験のことに挑戦するときとか。

モードでいうと、”おりゃー”ってなってる、みたいな時ってイメージありません?

私はなんとなく漠然と、そんなイメージを無意識に結び付けてました。

 

人には、「そんなに頑張んなくても、大丈夫!十分だよ!」って言ってても、無意識レベルに、ついつい自分は「おりゃー」モード起動しちゃってる、みたいなこと、ちょいちょいあったなあ、って思います。

 

それって、やっぱり心底では、”成長するために、この修行モードクリアするぜ!おりゃー!”っていう心意気がさく裂してたなーって思います(遠い目)

 

■”現在地”×”目的地”=”いい塩梅”がみつかる。

ちょっと話は脱線するんですけど、”適切”って、何を目指すかで変わるなあって思います。

私はカラダの相談に乗るお仕事もしてるんですけど、「ベストプラン、教えて下さい!」っていうのも、その人が”どんな状態(=現在地)で、どこまでを目指すのか(=目的地)を聞かないと、そこに橋をかけるプランって組めないです。

 

あと、「朝ごはん、食べたほうがいいですか?」という質問もよくされます。

これ、ちなみに朝いい感じにまとまった記事があったのでシェア。

「朝食をしっかり食べましょう!」は本当に正しい?!朝ごはん食べる派?!食べない派?一体どっちが正しい!?メリットデメリット。

 

これも同じで、”どういう状態が心地よいですか?何優先したいですか?”によって、食べるか食べないか決まってくる。決まってくる、というか、選べる。

 

ここで大事なのが、やっぱり現在地。

成長期のお子さんとかは、やっぱりたくさん栄養必要だから、朝からもりもり食べたらいいがな!って思います。個人的にですよ。

 

でも、物理的・身体的に成長が止まってて、いやいや、蓄えてますね!みたいな方は、メンテナンスの優先順位を上げた方がいいかもしれない。

 

■栄養も、成長とにてる。

似てる。ほんとにてる。

まだそんなに経験値ないです!な現在地なら、”おりゃー!”も栄養になる。

でも、”おりゃー”しまくってきたぜ!って人は、もう”おりゃー”は足りてて、あるものをどう使っていくか、むしろ、本当はわかってること、深い奥底に眠っている本来の自分。そういうもの、掘り起こしていった方がよっぽど力が出る。

って感じが、とてもしてます。

 

■新しく足すだけじゃなくて、”かさぶた”ぺりっも大切

で、実は本来の自分は、もともと深い部分に色んなものがすでに入ってるなって思います。

 

よく、仏教とかでも、人間には最初から、そういう仏様の性質が入ってる、って言いますよね。(仏教に限らずですけど、詳しい方、違ったらごめんなさい)

人間は神の子だから、もともとその一部が奥に入ってる。

 

それってそうだなーって感じます。

 

でも、何もしない赤ちゃんが完璧かっていうと、そうでなくて。

この世界を生きていくためには、この世界を生きていくための色んな知恵や経験が必要になる。

でもそれと同時に、いらぬ”固定概念”や”常識”、”失敗した経験”みたいな、苦労と絶望の”黒歴史※”みたいな記憶もセットでついてきちゃう。

※ああ、想い出すだけでどんよりしてくる、「でも、だって、どうせ」って言いたくなるアレのこと。

 

経験するとともに、余計なこともつけてきちゃう。

 

そのついてきちゃうやつを、見たくなくて、見えないようにしたくて、さらにその上に、”頑張るべきこと、経験”をくっつけちゃう。

 

そして、ミルフィーユになったまま、そこに居続けてしまう。

表面的には、忘れちゃうけど、ずっと感覚は残り続けて、傷になっちゃった。

 

だから、ある程度まで経験できたら、残ってる”かさぶた”を見つけてあげた方が早いなって思います。

かさぶた見つけたら、最初は嫌だけど、見つけてくれたらやっぱり、かさぶた的には嬉しいし、そうして、どんどん元の自分に戻っていける。

 

ある程度経験してきたっていうことが、かさぶたを認めやすくもさせると思う。

 

「まだまだ完璧じゃないけど、ある程度まで、ほんとによく頑張ってきたよな」

っていう大人のみなさん。

お疲れ様でした。

頑張り屋さん、多いと思うのです。

 

そこまでいったら、”プロセス自体が楽しい頑張り”と、”本来の自分にかえる引き算”で、さらに”自分らしさ”さく裂させていっちゃうと、成長が修行じゃなくって、ナチュラルなものになるなあって思います。