自分が見たい世界を、まず自分にあげる。
どうも。ライフシェルパのみすずです。
ただいまお友達さん、鎌倉いらっしゃいキャンペーン絶賛開催中な感じです。
うぇるかまー!
ひゅー
昨日会ってたお友達に、めっちゃ素敵なマグカップをもらってほくほくお茶なりコーヒーなりを豊かに楽しんでおります。
やっぱマグカップひとつにしても、心地よいもの使うって大事だなあと改めて。
ペンはジェットストリーム(1.0)の描き心地がたまらない。
でもこだわらないところは、本当に、ほとんどどうでもいいなってのが私です。
だいたいどんな環境でも普通に心地よくいられる。
こだわりのある人、素敵ー!って思うけど、私自身はだいたいのことにこだわりがない分、フリーな感じが生きやすいので、それはそれで好きです。
そんな昨日の素敵な夕日。
鎌倉のポテンシャルに日々感動する鎌倉初心者。
私が多くの人たちにそうしてもらってきたように、友人の変化のプロセスを一緒に感じてサポートする機会も増えており。
そんな中で、相手の気づきはいつも自分の気づきそのものであるし、そのテーマについて語ってる自分の言葉で、「たしかにー!」私、今そういう風に捉えてるのねー!って確認もできて。
語り合いが教えてくれるものって。とっても豊か。
■自分が見たい理想の世界を、まず自分にしてあげる。
「あれ、見てて思うけど、ああした方がいいよね」って、生活の中で思うこととか。
「こんな社会を作りたい!」って見る理想のビジョンとか。
例えば、私はその昔人材育成・研修の業界にいた時がありまして。
成長っていうものを、物質的な現実世界として捉えると、それは色んな分野に細かく分類されたりするのだけど、
例えば、
「この激動の時代の中において、自分の頭で考えて生きていける人を育てた方がいい。今の学校教育はそれが難しい。」みたいな話ってよく聞いたんです。
自分も当時、そう思っていたし。
そういう世界を作りたい、と思って、それに向けて現実的に必要なことを1つ1つやっていくことも間違いなく、方法の一つだと思う。
と、同時に、
やっぱり、その世界が見たいと思うなら、「自分にそれをしてあげること」と、「それを深めていくこと」を避けては通れないな、と今は強くおもう。
それを避けていては、いつまでも自分が見てる世界はそうならない。
そして、その変化に対する力も、力強く感じられず、世界から分離されるほど、やってもやっても報われない無力感になってしまう。
少なくとも、意義ある仕事をしているはずって思いながら、どこか突き抜けない思いを感じながら、昔の自分は仕事をしていた。
(もちろん、みんながみんなそうじゃないと思います。私の個人的な感覚として)
好きな分野で、好きなことを仕事にしているはずなのに。
なんか、最終的に描く世界に、ダイレクトに繋がれている気がしない。
それでも、社会が良くなるための、何かの役には、間接的にでも、立てているはず。
そう思って仕事していた。そういう時期があった。
その時、私は対象になるクライアントや、社会を変えることばかり考えていた。
自分の成長ももちろん好きで、興味があったけど、”思考”の部分、”現実的な部分”ばかりに目が行くから、根本的な自分の根底に蓋をしていたことに気が付けなかったから、「これが自分のやり方だ!」って100%突き抜けられない想いも抱えていた。
目の前のことに集中することは大切。
でも、目の前の”現実・現象”だけに集中すると、大切なものを見落とすことがある。
そんで、昨日話してて、そうだよなあって思ったのは、
例えば子供とかがいて、どんな風に育ってほしいかって考えた時に、
「自分で自分のわくわくを探して、トライして、失敗しても回復するプロセスを身に着けていて、自分に正直に生きる」っていう部分だけしっかりしてたら、いいよねって話ていたのです。
ついつい、目の前のことに目が行っちゃう。
きっと、失敗しそうになったら、手を出したくなってしまうのかも。
傷つけないように傷つけないように、細心の注意を払うのかも。
でも、外の環境にでると、勝手に失敗してくるし、勝手に傷ついてくる。
自分の目に見える範囲で、失敗させない、傷つけないって頑張っても、勝手に傷ついてくる。
ついつい、目の前のことに目が行っちゃう。わたしたちは。
でも、そのことを胸にとめて、
だからこそ
「自分で探って、自分で修正して、自分で進む」っていうあり方を、やり方を、身に着けさえすれば、もうどうなったって生きていけるよね、とも思うのです。
そして、社会にそういう人が増えたり、多くの子どもたちがそういう、真に自分らしく生きていく世界っていいなあ。
そうなっていくといいなあ、と思うと同時に、まず、自分が心の底からそうであること、そうであろうとすることって、めちゃくちゃ大事だな、と改めて感じたのでありました。
不安だって感じる。
一見”失敗”だってする。
その”現実”から、何を受け取るか。
ただのサインを、どう受け取って、自分の道を歩む方法を染み込ませていくか。
人は忘れる生き物だけど、”現実的ななにか”が起こったときに、いつもその奥にあるものを見ることを忘れなければ、1つ1つ、自分の中に息づいて、あり方になっていくんだろうなーなんてことを、夕日を見ながら思った豊かな一日でありました。
そういう”思考”だけの世界を超えさせてくれる大自然の中で、たくさん感じる。
心は動かした分だけ、感性が戻ってくる。
屋久島で心を動かしたい人、ぜひご一緒に。
【自然と生きる。自然に生きる。屋久島ツアー ~1710】
日程:2017年10月20(金)~10月22(日)
20日(新月!)、21日が屋久島宿泊
定員:あと1名
参加費:138,000円
※東京発の方は、羽田を予定/表記の料金は東京往復の場合
※ツアー代金には、アレンジ料金などが含まれています